2015-01-01から1年間の記事一覧

中国一の裏切り男(三十三)武漢三鎮陥落

同じ七月、武漢から遠く離れた張鼓峰で事件が発生した。張鼓峰とは、朝鮮、満州、ソ聯が境を接する地点にある小さな山である。従来、交通が不便なので日本もソ聯も重要視していなかった山ではあるが、これにソ聯軍が駐屯を開始したため、俄かに重要地点とし…

中国一の裏切り男(三十二)高宗武による和平交渉失敗に終わる

周仏海先生のもとに高宗武から、「既に日本への船に乗り込んだ、蒋中正への報告と今後の対策を頼む」との電報が舞い込んだ。無論周仏海先生にはその義務があるが、孔祥煕の事件もあるので、軽率に蒋中正の前に出るのは剣呑である。陳布雷に相談すると、布雷…

中国一の裏切り男(三十一)孔祥煕行政院長再び怒る

中国の外交情勢はあいも変わらず厳しいままである。英国が日本と勝手に上海の関税協定を締結したのに続き、今度は仏国が西沙諸島を占領した。支援どころか日本の片棒を担いだり火事場泥棒に来たりするのだから、第三国の善意だの支援だのなんぞは、期待する…

中国一の裏切り男(三十)高宗武渡日を決意

交通要衝徐州に両軍百万の大兵力が一大会戦を繰り広げていた頃、和平運動の急先鋒を以て自認している高宗武も、決して香港で遊んでいたわけではない。 台児荘戦役から十日後、高宗武は満鉄南京事務所長の西義顕とホテルで語らった。 「ぼくが蒋中正に報告し…

「日本のいちばん長い日」中国人の感想

ポツダム宣言を前にした日本人の葛藤を描いたこの映画だが、果たして「外国人が観て面白いのか?」、「そもそも見られているのか?」という疑問がある。そんなわけで、中国のポータルサイト「豆瓣」の映画レビューをあたってみた。 まず、岡本喜八版の「日本…

中国一の裏切り男(二十九)周仏海宣伝部長着任

どうやら高宗武は無事香港へ旅立ったが、国民党中央宣伝部の仕事はいただけない。周仏海は蒋中正と相談した結果、なんとか代理部長だけはご勘弁願え、もう一人の副部長である王雪艇同志が代理を務める運びになったが、もう一声欲しい。なんなら副部長も御免…

中国一の裏切り男(二十八)高宗武再び武漢を去る

低調倶楽部による和平運動がどうやら滑り出し始めた民国二十六年四月初旬、「華軍大捷、日軍大敗」の報によって、武漢三鎮は沸きに沸いた。 「我軍全面勝利」 「皇軍不敗神話敗れる」 「日軍一万余を殲滅」 「慶祝台児荘大捷」 新聞各紙には、開戦以来初めて…

新旧「日本のいちばん長い日」感想 「名作」昭和版と「ゲテモノ」平成版

公開二日目の八月九日に有楽町ピカデリーにて、平成版「日本のいちばん長い日」を鑑賞した。昭和版「日本のいちばん長い日」ファンの私としては、平成版の事前情報を見るにつけ「どうせ駄作だろう」と思っていたが、結論から言えば、初めて終戦の頃の昭和天…

私と上海(一)

私が上海へ渡ったのは、平成十八年の二月十四日であった。何故日付まで覚えているかというと、出立前日に小学校の同級生らと会った際に、チョコレートを呉れとせがんだからである。なお、男子校に通っていた私は、中高六年間一度たりともバレンタインデイの…

中国一の裏切り男(二十七)影佐謀略課長、敵将に書を致す

香港行きがポシャった周仏海先生が意気消沈しながらも我慢していると、高宗武が上海から漢口へ帰ってきた。長江の堤の上を散歩しながら、周仏海先生は高宗武からの報告を聞いた。 「松本と会ってきましたが、どうやら日本の方も和平が難しい情勢のようです」…

中国一の裏切り男(二十六)高宗武香港へ派遣される

近衛声明は周仏海先生らからしても予想外の珍声明であったが、笑い事ではない。武漢は低調倶楽部の会員でなくとも、お通夜のような空気になっていた。 かねてからの計画通り、周仏海先生が侍従室第ニ処副処長として蒋中正に「高宗武のような有為の人材を、武…

中国旅行記

中国と言っても、日本の山陽である。最近筆が進まないので、ひとつ気分転換に気の向くまま書けるものを、ついでに備忘になればと、この題を選んだ。私がまだ紅顔可憐の高校三年生だった頃なので、ちょうど今から十年前になる平成十七年の十二月、私は尾道、…

中国一の裏切り男(二十四)国民政府対手とせず

首都が陥落し、和平交渉もまた失敗したのだから、これはもうこの世の終わりである。長沙の暮らしが慣れぬとボヤく淑慧を武漢へ呼び寄せたが、それくらいでは気は晴れぬ。毎日鬱々として酒浸りの日々を過ごしていた周仏海先生のところに、高宗武が日本側の新…

中国一の裏切り男(二十三)南京陥落

長沙へ引っ込んでいる周仏海先生だが、新聞報道によれば、江蘇省政府が改組されたらしい。それはよいが、教育庁長は自分が留任することになっている。 南京撤退のドサクサで忘れていたが、どうやら周仏海先生自身辞めるとも言っていないし、省部の方からも辞…

中国一の裏切り男(二十二)帰省

漢口は大通りと言わず路地裏まで南京方面から疎開した人々でごった返し、地面に収まりきれない人らは長江に浮かぶ船上で夜を過ごした。周仏海先生は漢口二日目に粤漢路運輸司令官、つまり広東と武漢の間の輸送を担当する部署の偉いさんの邸宅で厄介になるこ…

中国一の裏切り男(二十一)国府南京放棄

双方とも宣戦布告はおろか国交の断絶もしておらず、外交手続き上は平和時である。激戦を交えているのは飽くまでも偶発的な「衝突」という位置づけの「事変」ではあるが、どうやらこれはそう簡単に収まりそうもない。十月に入り、中華民国からの提訴もあって…

中国一の裏切り男(二十)中ソ中立条約

上海での戦闘は局所局所で中国軍が勝利を収め、低調クラブの面々もその都度少しは顔をほころばせた。しかし、全体的に見れば漸進的にではあるが、日本軍が戦線を推し進めていた。八月二十四日には、それまで中国軍の攻撃によって後退していた日本海軍陸戦隊…

中国一の裏切り男(十九)

夕闇迫る午後六時頃、日本海軍九六式陸攻の大編隊が南京市内に侵入、中央大学、軍官学校、考試院等政府機関を爆撃し、周仏海邸の地下室を大きく振動させた。首都南京も戦地となったのである。久しからずして、日本陸軍名古屋第三師団が呉淞、善通寺第十一師…

中国一の裏切り男(十八)

南京西流湾八号に、周仏海先生の屋敷はある。三面をとり囲む碧水に柳の葉がしだれかかり、青々と立ち並ぶ竹林が水面に翡翠色の光を添える。二階にバルコニーを配した西欧風のレンガ建築上に中国風の土壁が腰を据え、その上には瓦屋根を載せている。まずは洋…

中国一の裏切り男(十七)

南京西駅近く、下関の船着場は内陸へと疎開する人々でごった返していた。和平への望みは捨てていない周仏海だが、いざ妻子を送り出すとなると、情勢の厳しさが身に沁みる。高調に抗戦を訴える声は天下に満ちているが、勝算ありとする声は聞こえてこない。人…

中国一の裏切り男(十六)

七月二十五日 北平―天津間の廊坊駅を日本軍が占拠 七月二十六日 北平城広安門にて両軍衝突 七月二十七日 平津方面の日本軍が総攻撃を開始 七月二十八日 宋哲元の第二十九軍、北平放棄を決定 七月三十日 天津放棄 首都南京は特別市であり、江蘇省の首府は長江…

中国一の裏切り男(十五)

周仏海は「またか」と思った。 民国二十六年七月七日、北平郊外の盧溝橋で日軍が宋哲元の第二十九軍を攻撃したらしい。華北で日本軍が挑発的行動をとったのは、これまで一度や二度ではない。無論人並みには憂憤の情を掻き立てられぬこともないが、雨は降るし…

中国一の裏切り男(十四)

蒋中正の弟子たちが喜んでいる間、改組派の面々は不景気な面を並べていたが、なにせ国民党である。そうそう退屈はできない。 「張学良と共産党が結託している件は、お聞きになりましたでしょうか」 以前に張学良の秘書を務めていた銭公来が、真剣な面持ちで…

中国一の裏切り男(十三)

民国二十四年十一月一日、中国国民党四期六中全会が南京にて開催された。開幕式典の最後に中央委員全体の写真撮影を終え、皆が身を翻してぞろぞろ引き揚げていると、前列の方からパンパンと破裂音が響いた。 「何故爆竹を鳴らすのだ、やかましい」 「商店で…

中国一の裏切り男(十二)

上海の戦火は熄えたが、江蘇省の学生は一向に教室へ戻ってこなかった。江南でのドサクサに紛れて東北では清朝の廃帝溥儀を執政に担ぎ出されて満州国が建国される等、国民が怒る理由には事欠かなかったが、怒ったところでそこらへんに倭寇はいない。従って、…

中国一の裏切り男(十一)

「上海に事件が発生せし時、我々は苦痛を忍びて日本の要求を受け入れたにもかかわらず、倭寇はなおも乱暴に脅迫せり。再三我が上海防衛軍を攻撃、民家を爆撃し、市街を破壊せり。同胞は悲惨にも蹂躙され、邦家は滅びんとす」 淞滬事変勃発を受けて、蒋中正将…

東京への対抗意識を失った大阪

今日五月十七日に投開票を迎えた所謂大阪都構想は、極々僅差ながらも反対多数で否決された。 今回の住民投票は大阪市民のみを対象としていたが、全国の注目を集め、大阪市西区堀江出身の私はもちろん強い関心を寄せていた。 巷間ではNHKの世論調査によれ…

中国一の裏切り男(十)

政治家となった周仏海先生は、元第一師団長の顧祝同省主席に招かれ、江蘇省政府委員兼教育庁長の官職を得た。江蘇は南京市や上海市と境を接する長江下流域の先進地帯であるから、座り心地の悪くない席である。 周仏海先生が教育庁長として最初に取り組んだ仕…

中国一の裏切り男(九)

「日本帝国主義の圧迫、共産党による工作と、我々の党は存亡の危機に瀕しておる。このままでは、革命の失敗は免れぬ。諸君らは一体何をやっているのか、そのまま指をくわえて革命の失敗を見ているつもりかね」 汪兆銘ら国民党改組派や共産党による工作に対し…

中国一の裏切り男(八)

蒋中正は数の上で優位な軍閥をモグラ叩き式に打ち破ったが、これは勿論偶然でも天の助けによるものでもない。国共合作時期にソ連を訪ねた際、彼が注目したのはソビエト共産党の組織管理手法だった。つまり、特務工作政治である。 北伐前の広州で共産党ともめ…