歴史小説

中国一の裏切り男(二十四)国民政府対手とせず

首都が陥落し、和平交渉もまた失敗したのだから、これはもうこの世の終わりである。長沙の暮らしが慣れぬとボヤく淑慧を武漢へ呼び寄せたが、それくらいでは気は晴れぬ。毎日鬱々として酒浸りの日々を過ごしていた周仏海先生のところに、高宗武が日本側の新…

中国一の裏切り男(二十三)南京陥落

長沙へ引っ込んでいる周仏海先生だが、新聞報道によれば、江蘇省政府が改組されたらしい。それはよいが、教育庁長は自分が留任することになっている。 南京撤退のドサクサで忘れていたが、どうやら周仏海先生自身辞めるとも言っていないし、省部の方からも辞…

中国一の裏切り男(二十二)帰省

漢口は大通りと言わず路地裏まで南京方面から疎開した人々でごった返し、地面に収まりきれない人らは長江に浮かぶ船上で夜を過ごした。周仏海先生は漢口二日目に粤漢路運輸司令官、つまり広東と武漢の間の輸送を担当する部署の偉いさんの邸宅で厄介になるこ…

中国一の裏切り男(二十一)国府南京放棄

双方とも宣戦布告はおろか国交の断絶もしておらず、外交手続き上は平和時である。激戦を交えているのは飽くまでも偶発的な「衝突」という位置づけの「事変」ではあるが、どうやらこれはそう簡単に収まりそうもない。十月に入り、中華民国からの提訴もあって…

中国一の裏切り男(二十)中ソ中立条約

上海での戦闘は局所局所で中国軍が勝利を収め、低調クラブの面々もその都度少しは顔をほころばせた。しかし、全体的に見れば漸進的にではあるが、日本軍が戦線を推し進めていた。八月二十四日には、それまで中国軍の攻撃によって後退していた日本海軍陸戦隊…

中国一の裏切り男(十九)

夕闇迫る午後六時頃、日本海軍九六式陸攻の大編隊が南京市内に侵入、中央大学、軍官学校、考試院等政府機関を爆撃し、周仏海邸の地下室を大きく振動させた。首都南京も戦地となったのである。久しからずして、日本陸軍名古屋第三師団が呉淞、善通寺第十一師…

中国一の裏切り男(十八)

南京西流湾八号に、周仏海先生の屋敷はある。三面をとり囲む碧水に柳の葉がしだれかかり、青々と立ち並ぶ竹林が水面に翡翠色の光を添える。二階にバルコニーを配した西欧風のレンガ建築上に中国風の土壁が腰を据え、その上には瓦屋根を載せている。まずは洋…

中国一の裏切り男(十六)

七月二十五日 北平―天津間の廊坊駅を日本軍が占拠 七月二十六日 北平城広安門にて両軍衝突 七月二十七日 平津方面の日本軍が総攻撃を開始 七月二十八日 宋哲元の第二十九軍、北平放棄を決定 七月三十日 天津放棄 首都南京は特別市であり、江蘇省の首府は長江…

中国一の裏切り男(十四)

蒋中正の弟子たちが喜んでいる間、改組派の面々は不景気な面を並べていたが、なにせ国民党である。そうそう退屈はできない。 「張学良と共産党が結託している件は、お聞きになりましたでしょうか」 以前に張学良の秘書を務めていた銭公来が、真剣な面持ちで…

中国一の裏切り男(十三)

民国二十四年十一月一日、中国国民党四期六中全会が南京にて開催された。開幕式典の最後に中央委員全体の写真撮影を終え、皆が身を翻してぞろぞろ引き揚げていると、前列の方からパンパンと破裂音が響いた。 「何故爆竹を鳴らすのだ、やかましい」 「商店で…

中国一の裏切り男(十二)

上海の戦火は熄えたが、江蘇省の学生は一向に教室へ戻ってこなかった。江南でのドサクサに紛れて東北では清朝の廃帝溥儀を執政に担ぎ出されて満州国が建国される等、国民が怒る理由には事欠かなかったが、怒ったところでそこらへんに倭寇はいない。従って、…

中国一の裏切り男(十一)

「上海に事件が発生せし時、我々は苦痛を忍びて日本の要求を受け入れたにもかかわらず、倭寇はなおも乱暴に脅迫せり。再三我が上海防衛軍を攻撃、民家を爆撃し、市街を破壊せり。同胞は悲惨にも蹂躙され、邦家は滅びんとす」 淞滬事変勃発を受けて、蒋中正将…

中国一の裏切り男(十)

政治家となった周仏海先生は、元第一師団長の顧祝同省主席に招かれ、江蘇省政府委員兼教育庁長の官職を得た。江蘇は南京市や上海市と境を接する長江下流域の先進地帯であるから、座り心地の悪くない席である。 周仏海先生が教育庁長として最初に取り組んだ仕…

中国一の裏切り男(九)

「日本帝国主義の圧迫、共産党による工作と、我々の党は存亡の危機に瀕しておる。このままでは、革命の失敗は免れぬ。諸君らは一体何をやっているのか、そのまま指をくわえて革命の失敗を見ているつもりかね」 汪兆銘ら国民党改組派や共産党による工作に対し…

中国一の裏切り男(八)

蒋中正は数の上で優位な軍閥をモグラ叩き式に打ち破ったが、これは勿論偶然でも天の助けによるものでもない。国共合作時期にソ連を訪ねた際、彼が注目したのはソビエト共産党の組織管理手法だった。つまり、特務工作政治である。 北伐前の広州で共産党ともめ…

中国一の裏切り男(七)

北伐を完成させてから三ヶ月後の双十節、蒋中正は国民政府主席に就任した。国民革命軍総司令が采配する革命戦争の時代は終わりを遂げた。 孫中山は民主共和国建設に当たり、その辿るべき段階を三つに分けた。革命軍が国家を指導する軍政、国民党が中国人民を…

中国一の裏切り男(六)

年が明けて民国十七年一月、蒋中正は南京にて国民革命軍総司令への復職を宣言した。自ら望んでの復職ではなく、わざわざ外遊先の日本から呼び戻されての復職であるから、万事蒋中正の好きなように事を運べなければ嘘である。 これまで散々蒋中正と揉めてきた…

中国一の裏切り男(五)

武漢の汪兆銘が反共姿勢をとったことで、南京の蒋中正との対立理由は消滅した。これで国民党は一致団結、一気に北伐して中国を統一したのかと言えば、話はそう滑らかに進まない。 南京も揉めた。 蒋中正総司令率いる国民革命軍主力は、南北中国が交わる中心…

中国一の裏切り男(四)

共産党が主導権を握る武漢国民政府を脱出した周仏海先生だが、やっとの思いで上海までたどり着くと、どういうわけか、蒋中正将軍の指導する南京国民政府の警官隊に逮捕された。 そんなわけで牢獄にぶち込まれたが、先生は中国共産党の元祖闘士とはいえ、これ…

中国一の裏切り男(三)

北伐戦争は順調に推移したが、こうなると面白くないのは共産党と国民党左派である。兵力で以て強引に主導権を獲得した蒋中正将軍は、北伐軍の輝ける総司令として民衆のヒーローになろうとしている。 コミンテルンのボロージンは、国民党各党部の左派に声をか…

中国一の裏切り男(二)

さて、広州で国民党中央宣伝部秘書の位についた周仏海であるが、中国共産党留日代表のようにはいかず、こちらはしっかりと実務がある。早速、香港で発行する機関紙の総主筆を任された。大役であり周仏海先生もさぞ喜んだと思うが、いきなり新聞の編集長をや…

中国一の裏切り男(一)

昨年来、周仏海という人物について調べている。 特別何かえらい事をやった男でもないが、軽薄無双、中国一の裏切り男である。 清末に湖南省は阮江という、古くは「南蛮」と呼ばれた少数民族地帯にほど近いクソ田舎に生まれ、地方役人の父をもった関係か母親…