中国上海獄中記

 自慢にもなんにもならないが、私は一週間ほど拘置所に打ち込まれたことが有る。
打ち込まれるくらいならそう珍しくもないかも知れないが、中国で、となると多少は希少価値があるのではないか。
いつかどこかで発表できればと思っていたが、社会的主題との結びつきは限りなく無きに等しいため、掲載してくれそうな媒体といおうか、体裁が思いつかない。酒の肴程度の話である。
 ただ、もう十年前になるし、いずれは自分自身も忘れてしまうと些か惜しい貴重な経験であるため、ここに特に記すことにする。

 さて、何故牢屋に打ち込まれたか。
 これは、ちゃんと書類を見たのでハッキリしている。不法滞在五百六十幾日かのかどで、七日間勾留の行政処分を賜った。

 何故不法滞在していたか。上海に留学したものの、学費の仕送りが来なかったのだ。学費を支払わないと、査証が申請できない。カネがないのだから、当然帰国もできない。そもそも、学費が来ない状態なので、帰国してからどうするのかも不透明であり、強いて帰りたいとも思わない。

 そんなわけで不法滞在をしていたわけだが、どう生活していたかを書き始めるとこれも話が長くなり、牢屋へたどり着くまでの話に渋滞をきたすため、それは別稿に譲り割愛する。

 ある日、正確な日付を記せば〇八年十月二十二日(これはハッキリ覚えている)、仕事を終えて夕飯の惣菜でも買いに行こうと家の近所をブラブラしていると、自転車に乗った制服の中年男性が目に入り、「こいつは警察官なのか警備員なのか」となんとなく見ていると目があい、身分証の提示を求められた。

「不法滞在している外国人なのでそんなものはない」
 こちらとしては、どうなろうがどうでもいいので、正直なところを申告した。
「は?じゃあ旅券は」
「携帯していない、家にある」
「家は?」
「なんたら路〇〇弄」
「とりあえず派出所まで来い」
 数分待っていると警察車両が来て乗せられ、色々と尋ねられる。
「日本人だと聞いたが相違ないか」
「然り」
「これから話す言葉を日本語に翻訳してみせよ」
「差し支えない」
 ここで、「いいけどお前日本語わかるのか?」との疑問は当然生じた。
「你好」
「こんにちは」
「上海是美丽的地方」
「上海はきれいなとこです」
 さて、派出所に到着したが、
「こいつ、日本人だと言っていてテストしてみたけど、俺日本語わからんから確認しようがない」
 と、まあそうだろうよという結果に落ち着いた。

 どうも、この調子で警察とのやり取りを一々書いていくと、これまた牢屋までなかなかたどり着かないため、翌日再度出頭して派出所で調書をとられた後に(この際不法就労についてポロッと言ってしまったが、ノーカンになった)、出入境管理局にて中国のテレビに出てくる格子付きの尋問室に入れられて再度調書を作り、処分を言い渡された後に弁当を食べてタバコを立て続けに三本吸ったとだけ報告し、一足飛びに上海看守所へ到着することにする。

 さて、看守所だが、入るとまず面会所の建屋となっており、ここから奥の獄舎までの屋外空間で、初めて「手錠」というものを婦人警官の手によりかけられた。
このときの感覚は、どういうわけか恥ずかしい。看守所敷地内なのだから、誰に見られるというわけではないのだが、まあ屋外をフルチンで歩くような気分である。よく逮捕された容疑者の手にコートを掛けているところが報道されているが、あの心理がようやくわかった。なんとなく、見られるのが恥ずかしいのだ。

 獄舎に入ると、私物を渡したりベルトを預けたりするわけだが、その際獄吏に「これからは心を入れ替え、生まれ変わるように」と定型文の説教を食らったので、たまらず、
「自分は行政処分であって刑法犯ではない」
 と、しっかり申告すると、「はいはいわかったわかった」とあしらわれた。

 そんなこんなでいよいよ牢屋に入ったわけだが、まずは間取りを紹介しよう。
 概ね横幅1.5間、奥行き4間くらいの長方形の空間で、出入り口側は入ってすぐ右に洗面所というか流しと和式便器、奥の角に洗面用具を収納する棚がしつらえられている。なお、洗面・便所空間は廊下側が壁となっており外からは見えず、室内側には腰の高さ程度の壁がある。どうやら日本の拘置所よりは人権がある。
牢屋の奥の方は全面鉄格子となっており、その向こうも通路で、外側に熱湯が蓄えられたタンクがおいてあり、白湯が飲みたくなればその蛇口をひねることになっている。
牢屋の真ん中に、机が二つ、縦に並べられている。机を中心として、縦両側は空間があるわけである。要は、縦長の部屋に長机を並べて会議室としている配置を想像していただきたい。
 この机がスグレモノで、天板が二枚構造となっており、上の一枚をめくってそのまま壁の方に倒すと、壁にひっかかりがあるので、部屋の通路片側を潰して「机の上」を広げられるわけである。
 さらに天板を一枚めくると、中が収納スペースになっており、布団だの書籍(講談本から資治通鑑まで無秩序)、囚人服や私服に、おやつなどの私物を収納することになっている。
 入るときは私服だが、中では灰地に白く「上海看守所」と大書された囚人服を着る。

 獄中の生活を紹介する前に、同室の愉快な仲間たちを紹介したい。
もう名前は忘れてしまったが、覚えていてもどうせ公開できないので、まあよかろう。

 まず、人当たりのよさそうな小太りの兄ちゃん。
 彼は江蘇省出身で、上海郊外松江にて地下カジノをしていて打ち込まれたらしい。四年目。以後、「地下カジノ」と呼称する。「カジノでは日本円をチップ代わりに使用していた。一万円札は普段見慣れないから、気軽にどんどん賭けてくれる」という有益な情報をいただいた。

 次に、痩せぎすで坊主のオッサン。寧夏回族自治区出身。傷害罪。五年目。とにかく訛りがきつく、もはや中国語普通話を日本語音読みで読んでいるレベルで発音が違うため、半分くらいしか何を言っているのかわからない。
回教徒なので、食事は豚肉の代わりに鶏卵が出されていた。ハラル給食である。以降「回教徒」。

 最後に、全身入れ墨で鋭い目つきをした男前。寧夏回族自治区出身らしいが、とにかく無口なため、他の情報がまったく不明。豚肉を食べていたので回族ではないらしい。以降「入れ墨」。

 さて、このラインナップと一週間寝食を共にしたわけだが、みなとても親切で、いずれも犯罪者なのにこういうのは妙かも知れんが「いい人」だった。


 私が入ると、早速回教徒が机の下に貯蔵してある袋麺にお湯をぶっかけて、もてなしてくれた。あの自由に買い物ができるわけでもなく、とにかく退屈な空間で、インスタント麺を振る舞ってくれるというのは大変なことだと思う。

 獄中の一日を紹介しよう。

 起床のブザーが鳴ると、布団を机の中に格納し、部屋の中を行ったり来たりして「散歩」をする。皆がしていたから私もしていたが、これが義務なのかは知らないし、他にやることもないので、一緒にやる。

 しばらくすると、給食がある。主食はスコップ一杯の盛り切り飯、朝食の副食品は漬物のみ、情けないスープがつく。昼食と夕飯は、これに塩気と油気のない豚肉の塊と菜っ葉が加わる。
 食べ終わると食器を代表者が洗うわけだが、これは一番古株の回教徒が全員の食器を洗っていた。おそらく貴重な暇つぶしだからだろう。
他のものは、椅子を机の上にやって、雑巾がけをやる。これも貴重な暇つぶしである。

 食後はまず一時間程度の「自習時間」がある。牢屋の中の「囚人規則」だかによると、「党と国家の政策を学習すべし」だとかなんだか書いてあった。自習とは言え、読むのは「武侠小説」という、まあチャンバラもの小説である。ある時、チャンバラを読むのにも飽きて机に突っ伏していたら入れ墨から、「自習時間だから寝るのはいけない」と注意された。

 自習時間後、ビデオ学習がある。
「中国アフリカ外交の成果」というものもあったが、「老荘思想」や「曹操が如何に可愛い人物か」といった、人文系学者の講座が多かったと思う。全体的に面白かった印象だ。

 ビデオを半分見ると、昼食。昼食後雑巾がけをし、しばらくボウッとする。
入った二日目だかに、看守から話しかけられた。
「お前、ニューフェイスだな。何やったんだ」
「不法滞在」
「なんだ、そんな小事か」
軽蔑されて不本意なので、
「とは言え、五年は中国に入国できない」
と反論した。何を力んでいるのかわからない。
「お前、名前はなんだ」
「岡﨑」
「次は崎岡でくればよかろう」
随分デタラメなものであるが、残念ながら旅券氏名は変更できない。
「だいたい、帰国してからどうするかも不明瞭でね」
「日本にセレブババアはいるのか」
「まあいるだろうが」
「ヒモになれば?」
 これまたデタラメだが、そんなこんなしていると、お昼寝の時間となる。昼寝後、教養番組の続きを見て、それが終わると各牢屋で代表者が感想文を書いて提出となるが、これは入れ墨の担当だった。いくら暇つぶしとは言え、面倒だから後輩の仕事なのだろう。


 そのあと、また自習時間となり、チャンバラ本を読むが、とにかくタバコが飲みたくて仕方がない。金魚のように口をパクパクする。四日目に日本領事館員が来た時には、立て続けに四本頂戴した。
 タバコもさることながら、困るのは性欲である。当時二十一歳と若かったから、というよりも、単純に、することがない上に禁欲しているので、どうしてもそこへ意識が行く。鼻先に女陰の幻想が見えるし、なんなら鼻孔からその匂いが伝わってくる。こちらも酸欠の金魚状況である。一回、辛抱たまらず、どうせ下半身が見えないのを幸い、糞を垂れる風を装って一発抜いた。
 ちなみに、大便をするときは、金隠しのない和式便器の、水が溜まっている方へ落とすのがエチケットである。でなければ牢屋内に臭気が充満するからだ。
 一発抜いたあと、音も匂いもなければ便器にかがむのは不審ではないか、と気づいたが、まあ手淫をしていたことがバレても中学生でもあるまいし、どうってこたあないと澄ました顔で、講談本を読み続けていると、夕飯が出てくる。

 夕飯を食べ終えると、また雑巾がけをし、自由時間が始まる。多分夕方六時からだろう。
 この時間に、洗面をしたり、まわってくる中国共産党機関紙の解放日報を読んだり、五目並べに興じたりする。
 なお洗面については、皆十月末というのに例の洗面兼便所スペースにて冷水をもって全身を洗ったりしていたが、地下カジノが「お前は短いから慣れなくてもいいだろう、適当にやれ」というので、私は飲用の白湯と水を割ったお湯で体を拭いたりしていた。

 夜七時からは、国営放送、中国中央電視台第一チャンネルが流される。
 まずは「新聞聯播」というニュース番組。
 毎日総書記がどっかの国の大統領だかと会って、「世界に中国は一つ、台湾は中国の一部分」という「一つの中国原則」を確認し、副なんたらがどこかを現地視察する。
というのを、中国式の軍人将棋を指して地下カジノに「お前下手だな」と言われ、「日本のしかやったことねえんだよこっちは」と言い返したりしながら聞き流していると、ドラマの時間となる。
 中国中央電視台は、夜八時から、毎日二話ずつ同じ旧作ドラマを流す。
 今日が7・8話なら、明日は9・10話が観られるわけだ。みんな、この2話を観るために一日を生きているといっても過言ではない。
 私が入っている間は、「李小龙传奇」という、ブルース・リーのサクセスストーリーのドラマを流していた。ちゃんと全米デビューするまで観られた。
ある日、「ブルース・リー大怪我、格闘家生命危うし!!次回へ続く!!」というところで終わり、回教徒が「ええ、どうなるんだろう、大丈夫かしら」というので、「そりゃ大丈夫だろ、じゃなけりゃ誰がこれ演じてるんだよ」というと、「弟かも知れねえだろ」とブチ切れられ、これは自分が悪かったと、大いに反省した。

 そんなこんなで、七日が過ぎた。どうでもいいが、「勾留七日」とは「六泊七日なのか七泊八日なのか」とモヤモヤしていたが、七泊八日であり、八日目の飛行機の時間に合わせて外へ出された。浦東空港に到着して一言。
「タバコを吸ってもよろしいですか」