2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧
漢口は大通りと言わず路地裏まで南京方面から疎開した人々でごった返し、地面に収まりきれない人らは長江に浮かぶ船上で夜を過ごした。周仏海先生は漢口二日目に粤漢路運輸司令官、つまり広東と武漢の間の輸送を担当する部署の偉いさんの邸宅で厄介になるこ…
双方とも宣戦布告はおろか国交の断絶もしておらず、外交手続き上は平和時である。激戦を交えているのは飽くまでも偶発的な「衝突」という位置づけの「事変」ではあるが、どうやらこれはそう簡単に収まりそうもない。十月に入り、中華民国からの提訴もあって…
上海での戦闘は局所局所で中国軍が勝利を収め、低調クラブの面々もその都度少しは顔をほころばせた。しかし、全体的に見れば漸進的にではあるが、日本軍が戦線を推し進めていた。八月二十四日には、それまで中国軍の攻撃によって後退していた日本海軍陸戦隊…
夕闇迫る午後六時頃、日本海軍九六式陸攻の大編隊が南京市内に侵入、中央大学、軍官学校、考試院等政府機関を爆撃し、周仏海邸の地下室を大きく振動させた。首都南京も戦地となったのである。久しからずして、日本陸軍名古屋第三師団が呉淞、善通寺第十一師…
南京西流湾八号に、周仏海先生の屋敷はある。三面をとり囲む碧水に柳の葉がしだれかかり、青々と立ち並ぶ竹林が水面に翡翠色の光を添える。二階にバルコニーを配した西欧風のレンガ建築上に中国風の土壁が腰を据え、その上には瓦屋根を載せている。まずは洋…
南京西駅近く、下関の船着場は内陸へと疎開する人々でごった返していた。和平への望みは捨てていない周仏海だが、いざ妻子を送り出すとなると、情勢の厳しさが身に沁みる。高調に抗戦を訴える声は天下に満ちているが、勝算ありとする声は聞こえてこない。人…
七月二十五日 北平―天津間の廊坊駅を日本軍が占拠 七月二十六日 北平城広安門にて両軍衝突 七月二十七日 平津方面の日本軍が総攻撃を開始 七月二十八日 宋哲元の第二十九軍、北平放棄を決定 七月三十日 天津放棄 首都南京は特別市であり、江蘇省の首府は長江…
周仏海は「またか」と思った。 民国二十六年七月七日、北平郊外の盧溝橋で日軍が宋哲元の第二十九軍を攻撃したらしい。華北で日本軍が挑発的行動をとったのは、これまで一度や二度ではない。無論人並みには憂憤の情を掻き立てられぬこともないが、雨は降るし…