2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧
同じ七月、武漢から遠く離れた張鼓峰で事件が発生した。張鼓峰とは、朝鮮、満州、ソ聯が境を接する地点にある小さな山である。従来、交通が不便なので日本もソ聯も重要視していなかった山ではあるが、これにソ聯軍が駐屯を開始したため、俄かに重要地点とし…
周仏海先生のもとに高宗武から、「既に日本への船に乗り込んだ、蒋中正への報告と今後の対策を頼む」との電報が舞い込んだ。無論周仏海先生にはその義務があるが、孔祥煕の事件もあるので、軽率に蒋中正の前に出るのは剣呑である。陳布雷に相談すると、布雷…
中国の外交情勢はあいも変わらず厳しいままである。英国が日本と勝手に上海の関税協定を締結したのに続き、今度は仏国が西沙諸島を占領した。支援どころか日本の片棒を担いだり火事場泥棒に来たりするのだから、第三国の善意だの支援だのなんぞは、期待する…
交通要衝徐州に両軍百万の大兵力が一大会戦を繰り広げていた頃、和平運動の急先鋒を以て自認している高宗武も、決して香港で遊んでいたわけではない。 台児荘戦役から十日後、高宗武は満鉄南京事務所長の西義顕とホテルで語らった。 「ぼくが蒋中正に報告し…
ポツダム宣言を前にした日本人の葛藤を描いたこの映画だが、果たして「外国人が観て面白いのか?」、「そもそも見られているのか?」という疑問がある。そんなわけで、中国のポータルサイト「豆瓣」の映画レビューをあたってみた。 まず、岡本喜八版の「日本…
どうやら高宗武は無事香港へ旅立ったが、国民党中央宣伝部の仕事はいただけない。周仏海は蒋中正と相談した結果、なんとか代理部長だけはご勘弁願え、もう一人の副部長である王雪艇同志が代理を務める運びになったが、もう一声欲しい。なんなら副部長も御免…
低調倶楽部による和平運動がどうやら滑り出し始めた民国二十六年四月初旬、「華軍大捷、日軍大敗」の報によって、武漢三鎮は沸きに沸いた。 「我軍全面勝利」 「皇軍不敗神話敗れる」 「日軍一万余を殲滅」 「慶祝台児荘大捷」 新聞各紙には、開戦以来初めて…
公開二日目の八月九日に有楽町ピカデリーにて、平成版「日本のいちばん長い日」を鑑賞した。昭和版「日本のいちばん長い日」ファンの私としては、平成版の事前情報を見るにつけ「どうせ駄作だろう」と思っていたが、結論から言えば、初めて終戦の頃の昭和天…
私が上海へ渡ったのは、平成十八年の二月十四日であった。何故日付まで覚えているかというと、出立前日に小学校の同級生らと会った際に、チョコレートを呉れとせがんだからである。なお、男子校に通っていた私は、中高六年間一度たりともバレンタインデイの…
香港行きがポシャった周仏海先生が意気消沈しながらも我慢していると、高宗武が上海から漢口へ帰ってきた。長江の堤の上を散歩しながら、周仏海先生は高宗武からの報告を聞いた。 「松本と会ってきましたが、どうやら日本の方も和平が難しい情勢のようです」…