中国一の裏切り男(三十一)孔祥煕行政院長再び怒る

 中国の外交情勢はあいも変わらず厳しいままである。英国が日本と勝手に上海の関税協定を締結したのに続き、今度は仏国が西沙諸島を占領した。支援どころか日本の片棒を担いだり火事場泥棒に来たりするのだから、第三国の善意だの支援だのなんぞは、期待するだけ無駄である。
 ただし、第三国も中国での事変にまったく知らん顔というわけではない。英米の宣教師が、漢口に安全区を設定してはどうかとの提案をして来た。嫌な言い方をすれば、外国人のいるところを日本軍に爆撃されない為の措置である。
 武昌の陳誠宅の連絡会議にて、この問題について討議した。陳誠、字は辞修。蒋中正と同郷の浙江人であり、黄埔軍官学校教官も務めた、蒋中正の側近軍人である。
「日本が同意をすれば、我が方が拒否するのは好ましくあるまい。安全区の設定はより多くの国民を救う意味もあることから、拒否すれば民心を失うことになる」
 周仏海先生が自説を述べたが、周恩来は「いや、拒否すべし」と断言、陳辞修に至っては、「徹底的に焦土となればなるほど、勝機が生まれる。いずれにせよ早晩占領されるのだ、無傷で日本に呉れてやることはない」と頑なである。
 国民政府は既に、抗戦にあたって対価を惜しまぬ方針を固めている。この一か月前、徐州から中央軍が撤退する際には、日軍の追撃を避けるために黄河の堤防を決壊させ、百万の罹災民を出している。
 中央機関を武漢からさらに西、遥か四川盆地重慶に移転して、あくまでも抗戦を継続する決心ではあるが、抗戦継続による国民の苦難は想像に耐えない。それだけに高宗武による東京行きに周仏海先生は期待をかけていたが、行政院長兼中央銀行総裁の孔祥煕が、中央銀行で妙な報告を受けた。
「軍事委員会弁公庁から高特派員への国際送金とは、一体なんだ」
 孔祥煕はただちに軍事委員長室へ駆け上り、「高司長を国外へ派遣したことを、いやしくも行政院長の自分にも知らせなかったとは何事ですか」と蒋中正へ顔を真っ赤にして怒鳴り込んだ。
 蒋中正委員長としては、「知らん、わしゃ知らん」としか挨拶のしようがない。孔祥煕は、納得こそしなかったが、肩をそびやかして帰っていった。こうなると、今度は蒋中正が収まらない。
 侍従室秘書長の羅君強を呼び出して、「こんな小事、何故中央銀行の誰にでもわかるような大事にしたのだ、お前は何年秘書で飯を食っているのか、お前は飯を入れては出すだけの飯桶か」と、怒鳴り散らした。
 青ざめた顔で「ハイ、申し訳ありません」とひたすら恐縮している風の羅君強からすれば、秘密の任務であることくらいは百も承知であったが、まさか行政院長にまで秘密とは思わなかったので、納得が行かない。
 羅君強が周仏海先生を訪ねて愚痴ると、先生、顔を少ししかめた後、「これが蒋先生のやり方さ。前にも、政治とは秘密である、秘密以外に政治はなし、政治家は、左手でやっている事を右手に知られてはならないとおっしゃっていたが、ここまで来れば特務政治も徹底している」と言い、煙を吐いた。
「しかし、何もあそこまで人を罵倒することもないでしょう」
「蒋先生は、昔から部下の扱いが厳しいからね。確かに、度を失って人を面罵するのにしても、抗戦の方針にしても、蒋先生は人を人と思わぬと感じさせる。一国の領袖として相応しくない。その点――」
 周仏海は深々と煙を吸い込むと、煙管を置いて、一層大きく、甘く白い煙を吐き出した。
「その点、汪先生には大人の風がある」