中国から強制送還になった場合

  中国上海で勾留された件については「中国上海獄中記」に書いたが、捕まってからの流れと、強制送還されるまでの過程を、何の役に立つのかは知らんが紹介したい。

 ブラブラしているところを職質され、正直に「我は不法滞在せし日本人也」と申告したものの、旅券を携帯していなかったため「お前本当に日本人か」とテストされたが、警察官が日本語を解さなかったため無意味に終わり、一度派出所まで連行されたものの、「とりあえず旅券をとりに家へ行こう」という話になり、一九二〇年代築の石庫門、というと新世界あたりにありそうな瀟洒な建物を想像する人もあるかも知れないが、要は風呂どころかないボロ長屋へ案内した。

 なぜそんなボロ長屋に住んでいたのか、住心地はどうかという話も、酒のつまみ程度にはなる話題なので紹介したいが、これまた話に渋滞をきたすのでまたの機会に譲るとする。

 さてボロ長屋だが、警察官に「お前すごいところに住んでいるなあ」と感心され、「日本国」の三文字に菊の御紋の入った旅券を渡すと、

「お前本当に日本人だったのか、黒孩子(無戸籍者)かと思ったわ」と随分なことを言われ、旅券を開くと

「二年前に査証切れてるじゃねえか、お前なにやってるんだ」

と、叱られた。ご指摘ごもっとも。

 その日は既に入管が閉まっているから明日派出所に出頭しろということで、私の旅券を取り上げて帰っていった。鷹揚なものだなと少し戸惑った。

 どうしたものか。まずは仲のいい同際大学の友人(中国人)に電話すると、

「まずは逃げるとして、逃げながらどうするか考えたら?」

 と、適当なことを言う。

「まあ別に上海にいようが日本へ帰ろうがどっちでもいいから、これも機会と思って帰るよ」

 と、適当なことを返し、方針が固まった。

 固まったところで、長屋の隣りにあるネカフェの店員の子と交際していたので「日本に帰る」と申告しに行くと、「自分も田舎に帰ろうかな」と、さすがにしんみりした。何故交際することになったかについても、長屋についての紹介の際に触れるとする。

 このネカフェでは、毎日身分証として旅券を提示していたら、店長のオバちゃんから「中国の身分証がないのは不便でしょ、忘れ物の身分証買わない?」と奥から出してこられた。「便不便」の問題なのか、こいつは国籍をどのように理解しているのか、と少し首をかしげたが、まあいいことにする。

「いくらだい」

「百五十元」

「高いか安いかわからんけど、元値ゼロだろ、百元にしなよ」

「まあいいから選べよ」

「これなんか年格好近いかなあ」

「お前に見えないぞ」

「元が別人だから少しは負けとけよ」

 とかワイワイやっていたが、「お前に見えない」と売り手がいうのに買っても仕方がないのでよした。

 

 閑話休題。そんなわけで翌日派出所に出頭すると、当たり前だが取り調べられる。

「不法滞在の理由は」

「学費の仕送りが来ないので査証を更新できない、カネがないので帰れないので、そのままになっていた」

「その間の生活費は」

「仕事をして……」

 ここで、「あっ」と声が出そうになった。不法滞在に不法就労が乗っかってしまう。警察官も「あっ」という顔をしたが、一度うなずき、黙って調書を書き始めた。不法就労には触れられておらず、お目溢しを頂いた。そんなこともあり、私は中国の警察に好感を抱いている。

 調書が出来上がると、警察車両で浦東の出入境管理局へ連行される。道中、赤信号はサイレンを鳴らして突破するので、快適な車中だった。今は警察がこういうことをすると、さすがの中国でも怒られるらしい。

 さて、出入境管理局につくと、診察室のようなイメージの部屋へ通された。事務机に警察官(中国の入管は警察行政)がお医者さんのような感じで座り、私はその傍らに患者のような感じで座る。診察室と違うのは、薬品がないのはもちろん、診察台のかわりに鉄格子で覆われた一畳半程度の空間に拘束具のついた木製の椅子が配置されているのと、喫煙が許されていることだ。

「通訳要る?要らないよね」

 柘植久慶の「サヴァイヴァルブック」だかによると、通訳がいれば通訳されている間に考える時間があるので、自身の語学力と関係なく呼んでもらったほうがよろしいとか書いてあった気がするが、こちらにかかっている嫌疑は明らかであり、特に答弁を工夫する余地がないため、「ええ、いいです」ということにした。

 不法滞在の罰則規定は、一日百元の罰金(上限:一千元)或いは十日以内の勾留である。

「五百六十何日か」

 と、警察官が笑ったので、私も笑いながら「これは満貫ですね」と応じた。

「カネがないから不法滞在になったのはわかったから、罰金はいいや。帰りの飛行機を手配しないといけないし、その間十日くらい泊まって行けや」

 こっちは罰則規定満貫なので、とくに文句をいう筋合いもない。

 さてここで、「家にある荷物はどうする?」という至極当然な疑問が浮上する。

「君、適当に友達へ電話をかけて、送ってもらいたまえ」

 なかなか融通の利くものである。早速、同際のやつに電話を掛け、事情を説明すると、係官にかわれという。

「いや、短くしろと言っても、飛行機に乗るまでは泊まってもらわないと困る」

 どうやら勾留期間の値引きを試みてくれているらしい。持つべきものは友である。バナナの叩き売りのような会話を展開してもらった結果、「じゃあ七日間勾留で」と落ち着いた。満貫なのにまかるとは思わなかった。

 一通りやりとりが終わると、鉄格子の中の椅子に座れと指示され、拘束具は使われず檻の扉も閉められなかったが、どうやら正式な調書をとるときはここに座ることになっているようで、これまでのやりとりの概要をおさらいして、もとの患者の席に戻り、正式に「七日間勾留の上、国外退去の行政処分を課す」との書類を示され、署名。「五年間はブラックリストに載るので入国できない」と言い渡された。

 その後、勾留にあたっての手続きが始まる。

 身長測定器に立って、前からと側面から記念撮影され、指紋をとる。日本警察は今でもインクでとっているようだが、上海では十年前からスキャン式だった。

 当たり前だがこんなものは初体験なので、勝手がわからない。指を押し当てて、ゆっくりぐるーっと回せと言われたので、ゆーっくりやると、「遅すぎる」とクレームがついたので、くりっと回すと、今度は「速い!」と文句が出る。もう一度いうが、私が適当な速度を知るわけもない。

 そんなこんなで手続きを終え、「拘置所ではタバコ吸えないから今のうちに吸っておけ」とアドヴァイスされたので、酸欠になるんじゃないかという勢いでスパスパ立て続けに吸い続けていると、お迎えがきた。拘置所の中については別稿に記したので省く。

 拘置所から空港までの車中、警察官と「拘置所はどうだったか」と談笑していると不意に、

「君、随分文化大革命についての本を持っているが、文革についてどのような評価をしているのかね」

 と、際どいことを尋ねられた。

「当事者及びその関係者に現役の人物がまだ多いので、歴史的評価を下すのは時期尚早でしょうね」

「うん、なるほど」

 我ながら大人の回答である。

 拘置所から出て上海浦東空港に到着、警察車両を降りると、まずはタバコを二本吸う。実に美味い。

 構内に入ると、日本領事館員が待っていて、航空券、「BOID」とパンチされた旅券と、渡航のための一時旅券だかなんだかを頂戴した。「お手数おかけして恐縮です」と挨拶をする。「物腰も丁寧だし、不法滞在するタイプに見えないんだけどなあ」と領事館員に首をかしげられたが、こちらも好きでしたわけではない。

 領事館員は出国ゲートまで見送ってくれた。これはこちらからの見方で、向こうから刷ると「ちゃんと出国を見届ける」というあまりやりたくない仕事なのだろうが。中国の警察官は、出国ゲートを出た後もついてくる。

「あの、免税店で買い物をしたいのですが」

「ああ、いいよ」

 というわけで、中南海を免税枠分2カートンと、白酒を買う。なんだかタバコにしか興味がないようだが、大切なことである。

 レジのオバちゃんが、警官を連れて買い物をする私にギョッとした顔をして、警官が「怖がらなくてもよい」と笑った。

 出発ゲートで警察官が「また上海来いよ」と笑顔で手を振るのに「五年間はこれないけどね」と笑顔で応じて別れ、関西国際空港行きの飛行機に乗り込むと、「ああ、これでイリーガルな存在ではなくなったのか」と少し感慨深い。

 一時渡航のためのなんたらを入管で示すと係官に訝しがられ、「職業は」と尋ねられた。はて、なんだろうかと自分でも首を傾げたが、真面目な顔で「無職です」と回答、「ああ、俺無職か」と一人で感心していると、通された。

 そのあと色々というほどでもないが、大阪に行く宛がなかったので、友人を頼って東京まで来て、今に至る。

 なお、「五年間ブラックリスト」は本当に五年間らしく、今では普通の旅券も持っているし、頻繁に中国へ渡航しているが、特に支障をきたしたことはないという重要情報を付け加えておく。ヤフー知恵遅れはデタラメである。