中国一の裏切り男(十八)

 南京西流湾八号に、周仏海先生の屋敷はある。三面をとり囲む碧水に柳の葉がしだれかかり、青々と立ち並ぶ竹林が水面に翡翠色の光を添える。二階にバルコニーを配した西欧風のレンガ建築上に中国風の土壁が腰を据え、その上には瓦屋根を載せている。まずは洋行帰りの文人政治家に相応しいモダンな大邸宅であり、周仏海先生が丹精を込めた自慢の種である。
 庭園の花壇下に設えた三部屋の地下室もまた、「備えあれば患いなし」と言いながら案内する周仏海邸名物として知られている。日本軍機が初めて江南上空に出現した日の夜、先生の先見の明を慕って、羅君強と梅思平が転がり込んで来た。
 ともに周仏海先生が武漢の軍官学校で政治部主任の職にあったとき以来の部下、国民政府の文官である。中年の脂ぎった顔に黒縁メガネを載せている羅君強は軍事委員会の簡任秘書を、面長で色白の梅思平は国民党中央法制専門委員会委員を務めている。
杭州と南昌も、飛行場がやられたらしい」
「しかし敵機のうち、六機は我軍の戦闘機が撃ち落としたようだ。我軍も少しはやるようじゃないか」
「喜ぶのは早いね。上海の敵は陸に上がったカッパみたいなものなのに、中央軍精鋭が猛攻をかけても進展がない。倭寇が陸軍師団を上陸させれば終わりだ」
 一堂好き勝手に話していると、肺病やみの高宗武が蒼い顔をして訪ねてきた。
「やあ宗武じゃないか、さあさあ入り給え」
 周仏海先生は満面に笑みを浮かべて高宗武を請じ入れると、すぐさま下女に茶を出させてもてなした。しかし、高宗武は不機嫌な顔をしている。
「君も疎開かね」
「そういう訳ではありませんが、周先生は和平派とうかがい、折り入って相談があります」
「如何にも吾輩は和平を唱えている。対日外交重鎮の貴君とは、是非意見を交わしたいと念じていたところだ。先日、対日交渉について蒋先生のお召を受けたそうじゃないか」周仏海先生は、長身を伸ばして威を正しながら応じた。
「結局、具体的な訓令は何一つ戴けませんでした」
「蒋先生は国内敵対勢力を気にするあまり、対日折衝に対しても過敏になっておられる。致し方あるまい」
「まったく、皆高調に抗日を唱えるばかりで、話になりません」
 これは彼らが特別軟弱なのではない。「日本に勝てるはずがない」というのは概ね中国の責任ある身分の人間にとって、常識と断じてよい。空軍、大砲、戦車、どれも中国にはロクにない。少なくとも軍の装備を知っていれば、小学生でも同じ結論を出すだろう。一方、徹底抗戦を唱えるべきであるとの認識もまた常識である。徹底抗戦に反対するやからは売国奴であり、漢奸すなわち民族の裏切り者である、和平派を以て自認している周仏海先生あっての、本音による会話といってよいだろう。
「ここは、こちらの方から具体的な方策を献じる必要があるだろう」
 周仏海先生と高宗武が議論した結果、だいたいの交渉方法がまとまった。
 一、外交部人員を上海へ派遣し、川越大使と談判する
 二、在野の士を日本へ派遣する
 三、駐英大使に電報で連絡し、日本の駐英大使と連絡する
「やはり、然るべき立場の人間から切り出さねばなるまい」
 高宗武が汪兆銘に進言、蒋中正に伝えてもらうよう話は決した。