中国一の裏切り男(二十四)国民政府対手とせず

 首都が陥落し、和平交渉もまた失敗したのだから、これはもうこの世の終わりである。長沙の暮らしが慣れぬとボヤく淑慧を武漢へ呼び寄せたが、それくらいでは気は晴れぬ。毎日鬱々として酒浸りの日々を過ごしていた周仏海先生のところに、高宗武が日本側の新条件を伝えに来た。
「どうせロクな条件でもないだろう、それに、条件がどうあれ蒋先生は受諾されまい」
 周仏海先生は拗ねながらまた酒を注ぐが、高宗武は「まあ聞きたまえ」と、説明を始めた。
 民国二十六年、すなわち昭和十二年十二月二十二日に日本で閣議決定された条件は、以下の四項目である。
 一、支那は容共抗日政策を放棄し、日満両国の防共政策に協力すること
 二、所要地域に非武装地帯を設け、特殊の機構を設置すること
 三、日満支三国の間に密接な経済協定を締結すること
 四、支那は帝国に対し、所要の賠償をすること
「回答期限は一月十五日となっています。この他にも、付帯条件があるそうです」
 周仏海先生は黙って聞いていたが、高宗武が言い終わると、手を額に当てて仰け反った。
満州国承認なぞ、不可能だろう。所要地域というのもひっかかる。まず流れるね」
「しかし、条件が再提示され、かつ回答期限まで切っているということは、これは最後通告です。つまり、いずれにせよ和平交渉の結論が出るわけです」
「戦争継続という答えが出るに決まっている。亡国だ、滅びるのだ」
「そうとは限りますまい」
 相変わらず気のない周仏海先生だが、高宗武は諦めずに論を説いた。
 交渉が妥結すればそれはよしとして、決裂したところで、やはり和平交渉はしないわけにいかない。これは、以前蒋委員長が和戦両面に当たる必要があるとの原則に賛成したことからも明白である。
 今回のトラウトマン調停に失敗した場合、我国は新たな交渉ルートを探らねばならない。
「そこで、我々が直接動く余地が生まれます」
「なるほど、これまでは隔靴掻痒の感があったが、まさに瀕して通ずる道もあるわけだ」
 周仏海先生は、膝を打った。
「しかし、我々が交渉をしたところで、蒋委員長が同意するかね。日本側が応じるかもわからない」
「その時は――」
 その時であるとしか言えぬ。

 回答期限の一月十五日夜、陳布雷が周仏海宅を訪ねてきた。「どうやら和平は成りそうだ」と、疲れきった中にも安堵の表情が見える。
 この日、蒋中正は開封へ出かけていたが、汪兆銘、孔祥煕、何応欽、張群、それに陳布雷らが臨時に国民政府を置いている漢口中央銀行に集まり、日本の条件について議論したところ、「屈辱的ではあるが亡国とまでは言えぬ」との結論に達した。つまり、反対しているのはその場にいない蒋中正ばかりである。
「私がもしあなただったら、行政院長としての権限で日本に条件受諾を伝えるがね。蒋先生からは事後承諾で構わない」
 汪兆銘が孔祥煕をそそのかしたが、孔は「私には背中に銃弾を撃ち込まれる度胸がないのでね」と尻込みする。
「それならば、蒋先生の同意を得れば文句はないだろう」と汪兆銘がいらだたしげにいえば、外交部長の張群が蒋中正に電話をかけ、続いて汪兆銘が電話口に立って、「全員が同意している」とまくしたてた結果、どうやら蒋中正も日本側条件の受諾に同意した。
 しかし、それを見ていた孔祥煕行政院長、今度は自分の意見を直接聞かずに蒋中正が重大決定を下したことが気に入らず、受話器を汪から奪い取った。
「委員長、私からもお話があります」
 蒋中正からすれば、これほど腹立たしいことはないだろう。全員同意なのだから、孔祥煕も賛成に決まっている。ただでさえ不本意な決定を強いられているというのに、こうもかわりばんこに同じ話をされるのは、苦痛でしかない。況してや、孔祥煕は常日頃より多弁の駄弁家である。
とは言え、ここで話を聞かぬわけにはいかない。あとから「実はあの時、自分は反対だった。売国奴蒋中正はけしからん」と言われては、たまったものではない。「話があるなら、電報で詳しく述べられよ」と言うと、電話を切ってしまった。
「ともかく、蒋委員長は同意なされたのだ」
 陳布雷は、ようやく正気を取り戻したような顔つきをし、周仏海先生も安堵して、久々に美味い酒を飲んだ。
 翌日、日本政府声明が発表された。
「帝国政府は南京攻略後なお支那国民政府の反省に最後の機会を与うるため今日におよべり。しかるに国民政府は帝国の真意を解せず、みだりに抗戦を策し、内人民塗炭の苦を察せず、外東亜全局の和平を省みるところなし。よって帝国政府は、爾後国民政府を対手とせず、帝国と真に提携するに足る新興支那政府の成立発展を期し、これと国交を調整して更生支那の建設に協力せんとす……」
 滅茶苦茶な声明である。第一、外交慣例上「対手としない」という表現は存在しないので、解釈に困る。他に中国政府を自称している勢力もまた存在しないので、どうやら不承認という意味ではないらしい。ともかく国民政府と交渉しないそうだが、それでどうやって事態を収拾しようというのか。
全世界が首をかしげていると、大日本帝国外務省から、補足説明が為された。曰く、「対手としない」とは不承認よりも重い意味であり、断固抹殺するとの意思表示である。帝国政府はこの度、あえて先例をひらいたとのことである。今後、この先例を踏襲する国家が出現するか知らん。
 ともかく、かくてトラウトマン交渉は失敗裡に終わりを告げた。