東京への対抗意識を失った大阪

 今日五月十七日に投開票を迎えた所謂大阪都構想は、極々僅差ながらも反対多数で否決された。
 今回の住民投票大阪市民のみを対象としていたが、全国の注目を集め、大阪市西区堀江出身の私はもちろん強い関心を寄せていた。

 巷間ではNHKの世論調査によれば賛成多数の世代が七十代以上のみであることから世代間闘争が取り沙汰され、また、地域別に見ると都心部が賛成多数なのに対して、沿岸部や南部、はっきり言えば所得や地価の低い地域で反対が上回ったことから、地域間対立の存在が明るみとなった事実も指摘されている。
 しかし、これらは我国の政治環境の現実を綺麗になぞっただけであり、この「勝負」の前提条件として最初から存在していたことから、「なるほど」或いは「やっぱり」以上の感想はない。もっとも、全国的な政治改革を考える上で、非常に重要な参考事例として残ったことは確かだろうが。

 私が最も感慨深かったのは、大阪市民が「東京と同格」の自治体になるチャンスにもかかわらず、その可否を問う選挙で接戦となり、あまつさえ敗北した事実である。また、私は大阪に住んでいるわけではないので知らないだけかも知れないが、少なくとも報道やインターネット、更にはゴールデンウィークの連休中に大阪を訪れた際に見聞した限りでは、「二重行政のムダをなくそう」「今のくらしを守ろう」といった内向きのところに論点が集約されており「東京に負けるな」のような素朴な叫びを聞くことができなかった。
 橋下徹が「大大阪復活」を唱えていなかったわけではない。2011年に出した『体制維新――大阪都』では大阪都構想の目的として「都市間競争に打ち勝つため」とも述べており、もしこの主張が多くの市民に受け入れられたならば、その後も外向きのスローガンが前面に押し出されたであろうが、そうはならなかった。
 東京特別区は確かに23区民の財源と権限を都が壟断しているが、都庁に財源と権限が集中している分、年全体として効率的な開発が可能である。これと競争するためには大阪市と府で予算を分け合っているようでは太刀打ちできそうにないと思うのだが、そもそも東京との比較は話題にもあがらなかったように見受けられた。
 そして、内向きの議論の結果、八十万人程度の人口さえあれば大都市の衛星都市であろうが、衛星都市をもたない地方中都市であろうが認められる「政令指定都市」こそ大阪に相応しいとの結論を出した。大阪には、もはや東京と勝負しようという意味での対抗意識は存在しない、「日本第二の都市」「西日本の中心」と威張るのも烏滸がましい、広島やら岡山と同格の一地方都市であることを事実として認めたのであると、断じざるを得ない。
 大阪は中四国をはじめ「地方出身者」を吸収してきた都市ではあるが、流入人口は年々減少の一途をたどっている。こんな内向きで左前の現状維持に汲々とするクソ田舎に、よその人間が魅力を感じるはずがない。
 私はこれまで日本には東京しかないような言説に対し憤りを覚えていたが、「日本には東京しかない」と今日はっきりと悟った。また同時に「大阪人である」と肩肘張るのはよして、「大阪出身のなんちゃって東京人」を気取ろうとも決めた。所詮大阪は新潟並みなので、それでよかろう。