国家の擬人化について ある中国人の「日本萌え」と日本人の「台湾萌

 今更ではあるが、「擬人化」という試みがある。昨年あたりから「鑑これ」なる軍艦を女の子としてキャラクター化するゲームが流行しており、「潜水艦伊―57のおしっこが飲みたい」という過激分子も出ているが、軍艦に限らずモノ一般を女性、或いは男性でもいいのだが、モノの特性を人格に置き換えて描く行為自体は、そう変態的と言えまい。

 当たり前の話をするが、企業や商品の宣伝に人間が登場している場合、やはりある程度は、イメージキャラクター、即ち企業や商品を擬人化した存在として位置づけられていると考えて問題なかろう。故人ではあるが、植木等はビールの宣伝には登場できても、まさか銀行は無理だろう。無責任では困る。

 国家や地域を擬人化して描くのも、江戸時代の浮世絵でよく使用された手法である。戊辰戦争の戦況を子供の集団喧嘩になぞらえて、例えば桑名藩は「その手は桑名の焼き蛤」ということで蛤模様の筒袖を着ているガキという調子で描かれた。
 国家が自らを擬人化した例としては、第一次欧州大戦の折に米国が作成した志願兵募集ポスターに登場するアンクル・サムが有名だろう。こちらを指差して「I WANT YOU」と言っている、シルクハットをかぶった外人のオッサンである。

 ツイッターで所謂親日台湾人の自撮りプロフィール画像女の子にフォロワーが万単位でつき、如何に中共が悪辣か、日本が素晴らしいか、日本の親中派がダメかを呟いている。おそらく彼女は日本人、主に日本人男性から見た、或いは求めている、台湾のイメージキャラクター、台湾を擬人化した存在なのだろう。

 小生は中国のSNSを利用しているが、先日、知らない中国人からコンタクトリクエストがあった。まずは「日本人か」と尋ねてきたので然りと答えると、唐突に、「自分はホモである、日本の男性が好きだ」と直球勝負を仕掛けてきた。
「申し訳ないが、自分はホモではない」と直球で返すと、彼はそれには構わず、「頼みがある」と言う。
「言ってみたまえ」
「中国の抗日戦争ドラマが好きで、日本の軍人も好きだ。ついては、ボイスチャットでバカヤロウと罵っていただきたい」

 中国の抗日戦争ドラマとは、ご想像の如く、暴虐非道の限りを尽くす皇軍を、共匪、もとい正義の八路軍が格好よくやっつける物語である。ここ五、六年は重慶国府軍もちゃんと活躍する。企画が出されると断り難いという事情もあるようで、中国大陸では「恋愛」「時代劇」「抗日」と並列して差し支えのない、一大ジャンルとして成立している。
八路軍による皇軍兵士のやっつけ方も、近頃はマンネリ化を避けるためか、皇軍兵士、鬼子兵を北斗神拳の使い手のように手でタテに割いたりもする。これには中国国内でも「脳残劇」、即ちノータリンドラマと批判が多くあったようである。

 抗日戦争ドラマに登場する日本兵は「メシ」「ヨシ」「バカヤロウ」の三言以外は、「なんたらアルヨ」の逆バージョンともいうべき中国語を話す。
 兵隊が戦地の中国人に用事がある場合といえば、難しく言えば糧秣の徴発、平たく言えば「メシよこせ」が最も日常的であろう。何せ、我が皇軍孫子の兵法に倣って現地調達主義のため、糧秣の補給はない。「メシ」と言って食料が出てくれば「ヨシ」、出てこなければ「バカヤロウ」ということで、この三言でコミュニケーションは概ね足りると思われる。
 抗日ドラマ皇軍兵士式中国語は、とりあえず語句の間に全て「的」をつける。「お前は何をやっている者か」は「你的什么的干活」といった具合である。この考証は、兵隊小説作家伊藤桂一氏の小説で、中国軍兵士に尋問された際「我的広東人」と答えたら発砲され、「広東訛でなかったのがよくなかった」という描写があったことからも事実に基づいていると思われる。鉄砲をぶっぱなされたのは当たり前の話で、怪しい奴が「ワタシ九州人アルヨ」と言ったようなものである。

 こう見ていくと抗日ドラマの皇軍兵士描写については「概ねあんなもの」と言わざるを得ないが、その論考は本題ではないので避けるとして、ともかく、中国のゲイから「バカヤロウと罵ってくれ」と頼まれた。スマートフォンに向かって「バカヤロウ」と叫ぶのは多少アホらしくもあるが、アホらしいことは嫌いでもなく、かつお安い御用なので請け合った。
「ありがとう、大日本男児!」
「いやなになに」
「ついでといっては何だが、連続で数言罵ってくれないか」
 このリクエストは難しい。続けてと言えば「アホンダラボケカス死にさらせ」が思い浮かんだが、「バカヤロウ」が登場しない。東京弁非ネイティブの壁を感じざるを得ない。少し考えた結果、どうせ向こうは日本語がわからないので、それらしい雰囲気を出せばよかろうということで、「バカヤロウ、貴様それでも帝国軍人か」を採用、スマートフォンに吹き込んだ。感謝されたのは言うまでもない。
 翌日、「私は日本男児に輪姦されるのを想像するのが好きだ。日本軍人に踏みつけられ、ビンタをはられ、ふんどしを舐めさせられ、バカヤロウと罵られたい」というメッセージが来た。面白いが挨拶の仕様がないので放っておくと、「支那豚と罵っていただきたい」とのリクエストが来た。
 「民族出自によって人を蔑視するべからず」といった程度の良識は持ち合わせているため、「お前は支那人だから豚だ」というような言葉を投げかけるのはよしとしないのだが、向こうがリクエストしているのに断るのは、「女王様、どうか鞭で打ってください」と言われているのに「そんな、人を叩くなんてできないわ」と言うようなものなので、野暮である。手間のかかることでもないので、リクエストに答えてあげたい。しかし、そもそも、「支那豚」とは何だろうか。元々日本語にそんな語彙はない。
 というわけで、戦前から用いられている中国人の蔑称「チャンコロ」の採用を決定し、例によって寸劇をやって吹き込んでおいた。「小便している写真も頼む」と言われたが、さすがにこれは拒否した。「NOと言える日本人」だ。少し古いか。

 昨今巷間では、日本贔屓の外国人に日本を語らせるのが流行っているようだが、この彼も大変な日本贔屓である。なんでも抗日ドラマに出てくる日本兵の粗野で乱暴な様子が好きであり、酔っ払って大声を上げてケンカをおっぱじめる現代日本人に、「これぞ日本男児大和魂を受け継いでいる」と興奮するらしい。どうも馬鹿にされているような気がせんでもないが、彼本人は真面目に日本が好きなようである。
中国人にとって大日本帝国とは自身を蹂躙する存在であり、また銃剣にせよ軍刀にせよ、あれらの武器は優れて男根的な隠喩的意味を含んでいる。この意味から大日本帝国を擬人化するとすれば、粗野で乱暴、言い換えれば、サディストで男性的なキャラクターとなることは疑いなく、マゾヒストの男性同性愛嗜好者の視点に立てば、正にベストマッチであることは間違いないだろう。

 彼が日本という国家とそれに属する人間に対し、この種の属性を付与して愛でていることは、現代日本の酔漢に対してまで興奮していることからも明らかである。彼は決して抗日ドラマの日本兵役という具体的な存在に興奮しているのではない、自身を蹂躙する男根的存在の日本という抽象的な概念に対し興奮しているのである。現代日本の酔漢は彼自身の体たらくが愛でられているのではなく、粗暴な大日本帝国を日本人が体現しているからこそ、彼をして興奮させるのである。

 この種の構造は、日本人の台湾好きにも同じことが言えるだろう。「台湾の女の子は可愛い」というイメージは、日本で割と定着していると思われる。
 これに関しては、南国出身者特有の丸い顔、丸い目が実際可愛い、日本人好みというのもあろうが、同じ写真を出して「台湾人」と言うのと「福建人」というのでは、かなり反応が違うのではないか。
或いは「いや、そもそもが全然違うはずだ」との声も出るかも知れないが、そもそも台湾と福建は両方とも閩南人と客家人であるから、もとは大体において同じようなものであり、ついでながら両方とも名産品は烏龍茶とパイナップルである。中国(大陸)と台湾の言葉は違うという意見もあるが、所謂台湾語とは閩南語なので、福建省でも同じ言葉を話している。
 福建人と台湾人の違いとは、大陸に住んでいるか島に住んでいるか、もっと核心的な違いとしては日本に敵対的で権威主義で何かと野暮ったい印象の大国か、日本に友好的で垢抜けている小国、いや、そもそも国家としての地位すら認められていないが、ともかくか弱い存在かであり、その意味は極めて大きい。
日本において「台湾の女の子は可愛い」と語られるとき、「台湾は可愛い」という意識は多かれ少なかれ働いていると考えてよかろう。昔「ニホンちゃん」という国家を擬人化した創作ジャンルが存在したが、当然台湾は女性として位置づけられていた。米国や中国が男性であるのも当然だろう。
 マゾヒストの中国人男性同性愛嗜好者にとっての日本については既に述べたが、日本人にとっての台湾は如何なる存在か。過去に同じように大日本帝国の植民地であった韓国が日本嫌いが多い一方で、台湾は日本贔屓が多い。更に言えば、日本は台湾、正確に言えば中華民国を国家として承認すらしていない。
 日本と中共やら韓国の外交関係が芳しくないと言うが、日本と台湾はそもそも外交関係が存在しないのだ。元々日本政府は「自由主義陣営」の一員として台湾の中華民国政府を正統中国として承認していたが、大将のニクソンが北京を訪問、毛沢東と握手したのを見て、慌てて台湾の中華民国と断交、大陸の中華人民共和国を正統中国として承認したことによる。簡単に言えば、台湾を既に公的には見捨てているのである。
 それでも台湾は親日的とは、なんと可愛いことであろうか。

 言うまでもなく台湾は中共という強大な脅威に直面しており、中共潜在的敵国である日本は台湾の潜在的同盟国である。この潜在的同盟国は対等足りえない。台湾は存在自体が脅かされている立場であるが、日本は中共によって国家の存立を脅かされているわけではない。また、繰り返しになるが日本は台湾という勢力の存在を公的に承認していないのである。いつでも手は引ける。日本が台湾を国家承認する日は、天地がひっくり返るか中共が転覆されるかしない限り、有り得ないと言っていいだろう。
 公的な関係がなくても、頼れるのはあなたしかいないのと言ってくれる、か弱き存在。かくも都合のよい形での支配欲求を満たしてくれる存在は他にあるまい。台湾は可憐な少女として擬人化し得、台湾の少女は可憐で然るべきなのである。「中国人の女は強い」とよく言うが、台湾の女の子はよく取り上げられる割に、強いとも男をよく立てるとも日本で聞かない。しかし、それは論じる必要がないのである。台湾女性は可憐であるべきであり、中国大陸の女のように自己主張が強いことはあり得ない、あってはならない。

 この一方的な台湾に対する属性付与は、数年前尖閣諸島周辺海域において、日本と台湾当局との間にいざこざが発生した際の日本での反応からも見て取れる。八月十五日、靖国神社へ見物に行くと、在特会だかの幹部らしき男が「所詮台湾は支那である」と一席振っていた。
日本人の「台湾が好き」は往々にして、あくまでも日本、自身にとって都合のいい、か弱き存在という概念を消費しているのである。
 在特会だかに日本人を代表させることは問題ではないかとの意見もあろうが、彼らは自己アイデンティティの拠り所として日本を規定していることから、国家を人に置き換える擬人化というテーマを論じるに当たっての例としては適切だと考えるので、あえて挙げた。

 中国人にとっての大日本帝国とは、被虐欲求を満足させる男根的存在として消費し得る。
 日本人にとっての中華民国台湾とは、支配欲求を満足させる女陰的存在として消費し得る。
 自分はかねてからツイッターで台湾人の一般女性に大量のフォロワーがついていることに、一種の納得と気色悪さを感じていたが、突然「バカヤロウと罵ってくれ」と頼んできたマゾヒストのお陰でようやく腑に落ちた。