私と政治・歴史・中国

 私は高校卒業後、三年ほど上海に遊んだ時期がある。
 なんとなく、この時期こそ自分のルーツであると感じていたが、今日雄弁会の先輩から四川料理をご馳走になり、いい塩梅に酔っ払った帰りの地下鉄車中で明確に言語化された気がしたので、忘れないうちに記録する。

 私は右翼か左翼かと問われれば間違いなくゴリゴリの右翼だが、無産階級文化大革命毛沢東魯迅が好きだ。文化大革命こそ、政治という営みの極地だと思っている。だから、大陸に渡って研究したかった。
 政治という営みは色々あるにせよ、その「志」なるものを一言で表現するならば、「ある理想、目的を設定し、人民をそれに巻き込んで実現する」ことであると思う。その実行にあたっては、当然ながら強い指導力、権力が必要となる。

 少し話が遠回りになるが、文化大革命の実態とは権力闘争であるという説がある。しかし、私はこれを極めて皮相的な見方でしかないと断じている。確かに、事実として権力闘争は存在した。毛沢東文化大革命の中で「走資派」として劉少奇国家主席を追い落としたのは事実である。ただ、毛沢東にとって、権力は単なる手段でしかなかったと確信している。それには、まず中国の近代文学を振り返る必要がある。

 中国の近代文学は、魯迅によって幕が開かれた。開闢以来数千年自分たちが信奉してきた仁義礼智信といった道徳、これは社会的常識と言い換えてもいいだろう、これらは所詮、人が人を食うことを正当化するための理屈にすぎない、そんな絶望的な自己否定によって、中国の近代は始まった。
 では、中国を約束の地、ユートピアにするにはどうするべきか。毛沢東は明確な答えを出した。破旧立新、すべてをぶち壊すことだ。大同思想的な理想郷は、今の自己を全否定した先にしか有り得ない。そのとおり、ある理想、あるテーゼを掲げることは、現状否定を同時に意味している。現状をぶち壊せばぶち壊すほど、理想の実現に近づくはずである。

 毛沢東ほど、実際にその営みを推し進めた人物は、私の知る限り人類の歴史上存在しない。国防部長彭徳懐毛沢東の路線に懐疑的な姿勢を示した時、毛沢東は「人民解放軍が反対するならば、自分はもう一度農村に入り、もう一度人民解放軍を組織しなおす」と言い放った。文化大革命を発動した当初、劉少奇国家主席が大衆を前に演説している最中、突如として毛沢東が壇上に登場、聴衆は国家主席を無視して、涙を流しながら狂ったように「毛主席万歳」を叫んだ。
 国家元首という権力、暴力装置という権力、毛沢東はこれら全てを超越した存在であり、「神格化」というような甘っちょろいものではない。まさに「神」そのものだった。
 「神」は「楽園」を創造して人類の歴史を終わらせるべく文化大革命を「啓示」し、七億人民はその「使徒」となった。高邁な理想を説く指導者、それを信仰し実践する人民、政治という営みにおいて、かくも理想的な状況があるだろうか。

 文化大革命の結果は、誰もが知っているとは思うが、人類史上最悪の政治運動として歴史に記録されることとなった。中国共産党の公式見解でも、「文化大革命」は全面否定されている。
 社会において絶対的な「正義」が確立されると、絶対的な「邪悪」を同時に産み出す。これは疑いない。少し話が狭くなるが、十数年前に「帝国華撃団」というアニメの主題歌がインターネットで流行した。「悪を蹴散らして正義を示すのだ」という歌詞は、端的に「正義」、「理想」の危うさを示している。
「神」の「使徒」の急先鋒となった紅衛兵らは、一点の曇もない純粋な眼で、悪を蹴散らして正義を示した。仏像に「死刑」の張り紙をした後に引きずり倒し、棍棒で叩き壊したし、貴重な仏典を道路上にばらまき、アスファルトが溶けるまで燃やし続けた。「走資派」とされた「悪人」に罪状と氏名を書きなぐったプラカードを首から下げさせて市中引き回しに処し、なんの疑いもなく罵声を浴びせながらの投石によってぶち殺した。「神」は生産力を向上させよと啓示しており、ならば仕事上の失敗は、「神」の啓示に反することにほかならず、そのような「悪人」は容赦なく吊るし上げた上で労働改造所送りとなった。

 曰く、全ての思想には階級の烙印が押されている。
 曰く、ブルジョワ人道主義は、階級矛盾を曖昧化する大毒草である。
 曰く、伝統思想すなわち封建反動思想である。
 曰く、共産主義が実現される以前の社会主義段階においては階級の矛盾と階級闘争が存在し続け、継続革命によってのみ解決される。
 曰く、中央に修正主義が出現したらどうするべきか、打倒するのだ。

 文化大革命毛沢東という独裁者によって実行されたと説明される場合が多いが、私は文化大革命を、魯迅以来の絶望的な自己否定感を解消するには、これしかなかった、つまり近代中国が気づいてしまった自己の病理を治癒する方法として、中国社会がいつかは避けて通れない道であったと認識している。幸か不幸か、いや、不幸にも毛沢東という「神」がその宿題に、最大限まで取り組んでしまったのだ。また、理想を追求して実行するということは、畢竟文化大革命なのだとも。
 その結果、数百万人が非業の死を遂げ、一億人が人間としての尊厳を蹂躙された史実から、魯迅以上の絶望感を抱くと同時に、何故か妙な落ち着きを感じている。

 人類、人類社会は元来が不完全であり、完全を追求したところで、ろくなことにはならない。ユートピアは空想上の存在に過ぎず、地上にはディストピアとして降臨する。政治倫理に挙げられる「にもかかわらず」とは、この冷酷な現実を踏まえた上での「にもかかわらず」であるべきなのである。

 日本社会の問題に敷衍させて考えれば、例えば我国には同和問題が存在する。その原因は、「穢多」という字面からも明らかである。我々は「お清め」という感覚と同時に、「穢れ」との感覚も有している。「清らかさ」を求めるからには、「穢れが多い」存在を自分たちの社会から排斥したがる、遠ざけたがるのは、至極当然であろう。では、この問題を根本的に解消するためにはどうするべきか。突き詰めると、神社を燃やし、神主をぶち殺すことになるのではないか。社会の病理を根本的に解決するためには、社会をぶち壊すしかない。伝統文化とは、社会の病理にほかならない。まったく厭になる。
 その事実を確認させてくれた文化大革命は、私の政治感を形作る主要要素だと思う。よって、中国近現代史を私は思考の中心に今でも置いている。