浜離宮に遊ぶ

 休みに何処かへ出かけると言っても、映画を見たり美術館の展示を見たりするのは別として、出かけるに値するような場所は案外少ない。特に休日繁華街に出かけるのは愚の骨頂と言うべきであり、普段と同じ街に人が増えて歩きにくくなるだけであって、愉快なことは何もない。池袋ならまだしも、殊に新宿渋谷に至っては映画館の席もとれぬ上、歩き疲れて喫茶店に入ろうと思ってもまた列を成さねばらなぬ憂き目に遭うことは必定であり、徒に不快感と疲労感のみを溜め込むために出かけるのもアホらしい。
 とは言え天気の良い休日はブラブラと日光を浴びがてら普段行かぬところへと出歩きたいのは人情であり、しかしながら適当な場所も知らぬ故、ここは仕方なく書籍にご教授願うこととし、『歩いて楽しむ 東京』なる本を購い、ひとつご教示のまま歩いてみることとした。差し当たって「汐留・新橋 5.5kmコース」とやらが行程距離から考えても適当であろうということで、記されている順路を忠実にたどることにする。
 浜松町駅を起点とし、まず駅地下で腹ごしらえした後とりかかったが、同時多発テロで吹っ飛ばされたような気がする名前のビルが展望台を具えているというので、たまには高いところに登ってみたいという欲求を我慢して、すぐそばの芝離宮を見物した。
 もとは三河以来の譜代大名大久保家の設えた庭園であり、先帝陛下が皇太子時代に御成婚あらせられた際、東京市に下しおかれたとのことで、入園料僅か150円であった。なんでも所謂「庭園」の要素は全部盛り込まれているらしい。庶民で言えば、庭さえあればとりあえず石灯籠と池と鹿威しを置いてみる感覚だろう。大久保公も欲張ったものだ。
 池は浙江省杭州の西湖を模しているとのことである。当時誰も西湖を見たものはいないはずだが、おそらく詩歌を参考に作ったのだろう。自慢するわけではないが、小生は西湖を実地に見たことがある。ただ、西湖に堤があったかは、ちょっと思い出せない。小生が覚えているのは、西湖湖畔の土産物屋で日本陸軍三十年式銃剣が無造作に売られているのを20元(300円程度)で購入し、それを意気揚々と腰に下げながら歩き回り、手持ちの金が尽きたのを思い出して銀行に預金をおろしに入って出てきた後に、銃剣を下げて銀行に入るのは軍人か銀行強盗に決まっているのによく取り押さえられなかったものだと感心したことだけである。
 芝離宮が忠実に西湖を模しているかどうかはともかく、残雪もあいまって、風景自体は写真を見て分かるごとく実に美しかった。欲を言えば、徳川時代は海だった筈の庭園東京湾側がすっかり埋め立てられていて、海が見えないのが残念であった。
 芝離宮のあとは、新橋駅近くの浜離宮を参観しろとガイドブックに書いてある。しかし、順路を見ると最短距離の海岸通りを歩くようになっていない。釈然としないが、ガイドブックどおりに歩くことが趣旨であるから、我慢して従っておくことにした。
 途中、道があっているのか不安になって結局海岸通りに少し出たが、庭園に入る前から庭園の樹木が見えるのは興ざめであり、その点考えてガイドしてくれているのかと感心した。感心したはいいが、浜離宮は積雪のため閉園されていたのが残念である。おそらくあと十年は足を向ける機会もあるまい。