「日雑」とは

 中国のネットを見ていると、猛烈な日本フアンをよく見る。所謂「哈日族」という語彙を目にしたことのある方もおられるとは思うが、その「フアン」の程度は日本のコンテンツを消費するのに止まらず、甚だしきは「日本人になりたい」或いは「日本人に生まれるべきであった」との程度に達する。
 荻生徂徠は「唐土に生まれなかったのは一生の不覚」と悔やんだそうだが、どうもそれとはまた違う感がある。
 決してこれは極例外ではなく、「日雑」との蔑称もちゃんと存在するため、中国には一定数存在すると考えられる。
 本邦にもやたら外国が好きな手合いの御仁は存在するが、ちょっとこの手の方は見ない。中国や韓国に対して必要以上に寄り添う類の方々は、決して中国人や韓国人になりたいとは言わない。これは、彼らの中に「哀れな後進国の土民にお恵みを施す日帝本国人様」という意識があるからであると私は決めつけている。「出て行けゴキブリ朝鮮人」と叫ぶ連中と彼らは表現方式を異にするだけで、表裏一体なのである。
さて、「日雑」である。
 中国のネットで「日本のネット右翼を断固支持する」と言う方と出くわした。てっきり日中戦争でも見てみたいのか、私も死ぬまでに一度も戦争を経験しないのは少し惜しいようなので、その気持ちはわかるがと思いつつ理由を尋ねると、「自分は生まれる国を間違えた、日本で生まれてゴリゴリの保守になりたかった」と言い出した。
 いい機会なので、「日本にはそういう考えの人を見ないので奇妙な感がある」と表明すると、
「その手の中国人と自分は違う。あいつらは日本が好きで止まっており、日本に対する基礎知識に欠けている。例えば、四十七都道府県に護国神社があることも知らない」と随分怒られた。「日雑」にも等級があるようである。
 中国人は一体どうなっているのかと少し悩んだが、考えてみれば日本も団塊の世代から少し下の世代は大変なアメリカ狂いが多かった。アメリカのナンバープレートを壁にベタベタ貼り付けて喜んでいるアメリカ風飲食店も存在するが、あれも昭和六十年台生まれの私には共感不能である。さしずめあれらは「米雑」というやつなのであろうか。
 ともに、先進国を目指す、言い換えれば先進国と同化しようとしている国の国民が、少し道を誤って先進国民と自己を同化しようとしてしまうという、一種のエラーと考えられよう。