中国一の裏切り男(二十九)周仏海宣伝部長着任

 どうやら高宗武は無事香港へ旅立ったが、国民党中央宣伝部の仕事はいただけない。周仏海は蒋中正と相談した結果、なんとか代理部長だけはご勘弁願え、もう一人の副部長である王雪艇同志が代理を務める運びになったが、もう一声欲しい。なんなら副部長も御免こうむる。
 そんなわけで先生、宣伝部は全部王代理部長に一人することにして、三週間ほど着任もしないまま放ったらかしにしていたら、王雪艇が代理部長を辞めると言い出した。これは困る。蒋中正公館で顔を合わせた折に説得してみたが、どうやら蒋委員長としては宣伝部の職務をどうしても先生にやらせたかったらしい。蒋委員長は業を煮やして王雪艇を参事室主任に異動し、一人残った副部長の周仏海先生に、やはり代理部長をやらせることにしたようである。
 こうなれば、もう文句を言ったところで仕方がない。大人しく着任するより他にない。着任した夜、早速「言論自由の限度は何処にありや」と質問された。もちろんこれを決定するのは、間違いなく宣伝部長の職責である。
「抗戦建国綱領及び三民主義の原則に反しない範囲内において、言論は十分に自由である。但し政府の措置を批判する場合、政府の威信を傷つけ、ひいては人民による政府への嫌悪感を引き起こすようなものには注意すべきである」と、当たり前のことを答えた。
 抗戦建国綱領とは、この春に決定された最高国策であり、題を読んで字のごとく、抗戦と建国を同列、むしろ抗戦を第一に置いている。つまり、芸文研究会による和平論宣伝は、言論制限対象に引っかかるわけで、自分の工作を自分で取り締まることになる。馬鹿げている。
 ともかく、「民族精神を以て強敵に対抗し、内は統一を求め、外は独立を求める」ことを第一とする宣伝方針を発表、台児荘戦役の記録映画を検閲したり、抗戦建国綱領の宣伝方式について決定したりと、実務を淡々とこなした。
 悪いことばかりでもない。着任すれば、部長、すなわち閣僚級であるので、当然中央の常務委員会やら国防最高会議に出席する。前回は首都南京だったがと思えば少し遺憾ではあるが、ともかく国家最高指導者の一員として列席するのだから、これはもう上機嫌である。
 ところが、国防最高会議の内容は少しも上機嫌にならない。
「英日が締結した税関協定への対応について、諸官の見解や如何に」と尋ねられたところで、向こうで合意している以上、如何ともしがたい。英国と日本の間のことである。ところが、この協定は英国と日本の税関について取り決めた協定ではなく、中国の税関についての取り決めであるから、話はそう簡単に諦められない。
 関税自主権がないとは言え、中国も当然関税は徴収する。日本軍占領下にある地域も、もちろん中国の領土であるからして、関税を課す権利は中国に帰属する。ところがこの度、上海で徴収された関税を横浜正金銀行上海支店に入金する旨、あろうことか英日が勝手に取り決めやがったのである。
 さすがに日本政府が着服するわけでもなかろうが、横浜正金銀行は国民政府による引き出しを拒否するだろうから、これでは預金残高が積み上がっていくばかりで、関税徴収権を失ったも同然である。こんなひどい話はない。
 よって、中国国民政府は国際連盟常任理事会に断固訴えることにして、腹立ち紛れに抗議文について数時間にわたって討議した。

 さてこの頃、国民政府の一同は抗戦についてどのような展望を抱いていたか。
 周仏海先生が蒋中正委員長を訪ねて問わば、委員長は自信満々に、「日本は必ずソ聯に侵攻する」と断言した。元駐日大使館参事の王梵生は、「日本で必ず革命が起きる」と言う。要は、日本がなにかやらかさなければ、話にならないのである。

 五月中旬に入ると、国防最高会議は次第に南京失陥前のような、お通夜の如き雰囲気になった。
江蘇省北部の徐州は、南京から北平へと至る線と、隴海線の交わる交通の要衝である。先月我軍が勝利を収めた台児荘は、徐州の南西に位置する。
 どうやら台児荘へ主力を投入したのはヤブヘビだったらしく、この主力の殲滅を目指して、日本軍が徐州を目指して四方から接近、十五日には五十個師団が敵に包囲されてしまった。このままでは、上海で主力が包囲殲滅された二の舞である。
 ひと月前には戦捷祝賀に沸いた武漢は大混乱となり、住民は西へ南へと雪崩を打って疎開を始めた。香港へ行った高宗武からは二十五日に武漢へ戻ると手紙が来たが、成果報告が来ない。現況を知らせられたしと急ぎ返事を出したが、果たしてどうなることか。